世界ではじめて、女性としてエベレスト登頂に成功した「田部井淳子」さんが2016年10月20日に亡くなられました。
過去に癌性の腹膜炎を患っていて、最近では回復されていたとされていましたが、その後、脳腫瘍を患っているという話もありましたので、がんの再発なども気がかりでしたが、先月9月には、徹子の部屋に出演されたり、4月には、福島の高校生と富士山登頂をしたり、そのお元気な姿を拝見できていたのに、非常に残念です。
今回は、登山家の田部井淳子さんについて、調査してみたいと思います。
田部井淳子の死因は?
田部井淳子さんの死因は、「腹膜がん」とされています。
享年77歳でした。
先月9月、徹子の部屋にご出演され、その元気な姿をお茶の間に届けていただいていました。その番組では、2012年に、患った「癌性の腹膜炎」は「寛解」したことをお話されていましたが、実は、がんは再発しているのだということを告知されていました。
非常に心配でしたが、きっと、回復されると信じていましたので、非常に残念です。
田部井淳子さんは、福島県の出身で、福島の高校生たちと、富士山に登ることも多かったそうです。昭和女子大卒業され、本格的に登山を始めたそうですが、1969年に山岳会「女子登攀(とうはん)クラブ」を設立され、1975年5月には、女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した偉大な人物なのです。
また、1992年にはヨーロッパ最高峰、ロシアのエルブルースに登頂し、世界7大陸最高峰を制覇した世界初の女性登山家となったことでも知られています。
そんな、田部井淳子さんの心の支えだったのが、旦那さんの「田部井政伸」さん。
田部井淳子の夫や家族が気になる
もともと登山家だった夫の「田部井政伸」さん。
かつて、アルプスの山に挑戦した時に、凍傷で足の指を切断することを余儀なくされてしまったそうです。そのことをきっかけに登山家の道を断念してしまったのだそうです。
しかし、淳子さんのサポートに周り、家事や育児は、旦那さんである、政伸さんがかわりに引き受け、家庭支えてこられたんだそうです。まさに、二人三脚で、ここまでの偉業を達成してこられたのですね。
また、お二人には、息子と娘の二人の子供がいるそうです。
田部井淳子さんが有名人であることもあり、けっこう荒れた時期もあったという息子さんは、現在では、駿河大学のスキー部でコーチをされているそうですね。娘さんの情報はありませんでしたが、きっと、山に関わる仕事をされているのだと思われます。
まとめ
今年2016年8月11日、初めて祝日「山の日」が施行されました。
この年に、登山家「田部井淳子」さんが亡くなられたのは、悲報ではありますが、田部井淳子さんが生前、山で死ねたら本望だとおっしゃっていましたので、もしかしたら、山に関する記念すべき年に亡くなられたのは、本望だったのかもしれません。
しかし、われわれにとっては、とても残念なことです。
田部井淳子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
では、今回もありがとうございました。
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