こんにちは、あっきーです!
今日、「週刊東洋経済」の特集を見て、仰天してしまいました。
2020年から、プログラミングが小・中学校で義務化されるという内容だったからです。読売新聞でも取り上げられたみたいです。
まず、最初に思ったのが、なぜ???でした。
特集記事でも、「私たちの生活とITは切っても切れない。プログラミングは今後さらに重要性を増すスキルだ。略」という見出しと共に、小学生くらいのこどもたちとそのご両親っぽい家族がパソコンを見ながら何かを考えているような写真が掲載されていました。
IT技術者として30年近くプログラミングをしてきた立場から見て、さっぱり意味の分からないことでした。国民総プログラマにするっていうことなのか?としか思えませんでした。プログラマを目指して勉強している大学生や専門学校生とかなら話はわかりますが、小中学生に義務として教える必要がどこにあるのか、さっぱり分かりませんでした。
そこで、なぜこのようなことが起ころうとしているのか、その背景と目的、そして、私が思う課題についてまとめていきたいと思います。
背景と目的
ことの起こりは、政府が成長戦略の柱に掲げた「第4次産業革命」の実現に向けた、技術革新を支える人材育成の強化策にありました。
「インターネットの急速な普及により、ITは、私たちの生活になくてはならないものとなり、今後より一層身近な存在として、更なる技術革新を推進していく上で、IT技術者の養成は急務であり、国を挙げて取り組むべき課題になっている。」という主旨のものです。
さらに、2020年には、150万人ものIT技術者が不足する見込みだそうです。
これらを踏まえ、早い段階から、IT技術者を育てる環境が必要と考え、小中学校での義務化が進んだと見られています。
そして、これには、楽天の三木谷社長の提言も影響していると見られています。
提言とは、現在、コンピュータ関連を専攻する理工系学生が少なく、IT技術者も少ない。その解決案として、義務教育課程等におけるIT教育を推進してはどうかという内容のものでした。
具体的には、以下のような提案がされています。
- 中学校技術家庭科内の「情報に関する技術」に充てる時間の拡充
- Scratch(子供向けプログラミング言語)等を用いたプログラミング概念の早期教育と興味喚起
- プログラマー経験者を教師とした遠隔教育で各学校に授業を展開(プログラミングのスキルと楽しさを教えられる教師を確保)
これらのことから、2020年に向けて、プログラミングの小中学校義務化の流れが加速していったように思います。
海外ではどうなのかと調べたら、既にイスラエル、イギリス、エストニア、韓国、アメリカ等、既に導入されている国がいくつもありました。
大きな落とし穴、私が思う今後の課題
義務化するにあたり、大事なものを見落としている気がしてなりません。
小学校、中学校は、人間形成の場であることが理想と私は思っています。
心の教育は大丈夫?
昨今では、小中学生にも、非常に残酷な事件が相次いでいます。これらの社会問題はいったいどこに原因があるのか?
家庭環境の悪さやいじめ等、取り組むべき問題は山積みのはずです。
こうした状況の中、内に向かって行うプログラミングを義務化するということは、より一層孤独に追い込んでしまうのではないという懸念が頭をよぎります。
華々しくみえるIT業界かもしれません、プログラミングはカッコいいかもしれません。
しかし、実態は非常に孤独な作業なのです。
チームを組んで開発をしていても、担当する部分に責任を持ってプログラムを作っていく仕事は、孤独なのです。
ミスを犯し、システム障害を発生させてしまっても、自分が責任をとらなければいけません。上司や先輩は責任をとってくれません。修正作業は自分一人で行うしかないのです。これは、人によっては、グレてしまう場合があります。翌日会社に来なかったり、放棄してしまったりすることもあります。とにかく、ただ、楽しくプログラミングしてみようという軽い教育は、やらないで欲しいと思います。
そして、周りとのコミュニケーションを苦手とするIT技術者が非常に多いです。
しゃべるのが苦手だから、プログラマになりましたという人がごまんといるのです。
プログラミングや論理的思考の教育だけに焦点を当てた教育になると、心が教育されず、かえって、自分のからに閉じ込めてしまう恐れがあるのではないかと危惧してしまいます。そこに、大きな落とし穴があるのではないと思えてなりません。
こういう実態を果たしてどこまで理解しているのでしょうか?
もくもくと取り組む姿はややもすると、頑張っているように見えますが、傍からは何をしているか分からない状態のため、より自分の世界にこもらせてしまいます。
大丈夫なのでしょうか?
教える先生は大丈夫?
教える先生側にも、非常に不安を感じます。
従来の一方通行的な教育や座学中心の授業では、とてもプログラミングは身につきません。先生方がプログラマとしてシステム開発を行った経験がないならば、はっきり言って、なんの意味もありません。ひどい結果になるのは目に見えています。
英語教育と同じ運命をたどると思います。学校で習った英語を使えている人たちは、いったいどれくらいいるのでしょうか?いくら英語に力を入れているといっても、やはり本場の外国の人には叶いません。ましてや、海外生活もしていない先生が教える英語など、迷惑以外の何者でもありません。
学校にいる時間は全て英語で話すとか、周りの環境を全て英語圏にしてはじめて、生きた英語が身につくのだと思います。それくらいやらなければ意味はないと思うのです。
プログラミングも全く同じことが言えます。ちょっと講義を受けたとか、家でプログラミングの勉強をしている程度で教えて欲しくないです。子供たちに悪影響ですから。
興味をもてない生徒は苦痛でしかないと思う
義務教育のため、全ての生徒がプログラミングを学ぶということですよね。いくら、楽しいからと教えていても、興味がもてない生徒だって当然います。その生徒たちのフォローはどう考えているのでしょうか?
卒業したあと、絶対使わないだろうプログラミングスキルは、英語よりもひどいかもしれません。
まとめ
義務化は、本当に必要なものなのかどうなのか・・・。
私は、はっきり言って必要ないと思っています。
プログラマを目指したい生徒は、大学や専門学校で学んで、あとは社会に出て、少しずつ実績を積んでいけば十分だと思います。職業の選択の自由ですよね。この自由の選択を義務化することにより、半強制に捉えてしまうのは私だけでしょうか?なぜ、全員がプログラミングを学ばなければならないのでしょうか?おそらく、しばらく、悶々とする日々を送ることになると思います。(笑)。
いずれにしても、人間形成の大切な時期に、大人の事情だけで判断せず、もっと人間教育の根本を考えて欲しいものです。それが、心豊かな人材に育っていくことにつながるのではないでしょうか?教育の本質はそこだと思います。そこを土台にじっくりと検討してほしいですね。
では、また。